筑波大学を休学しての挑戦は失敗に終わった國友さん。しかし、彼はこの1年の浪人生活が、のちの人生を劇的に変えたと言います。彼は浪人したことで、「劣等感や焦りから解放された」と語りました。
「筑波に入って1年間は、周りより自分が劣っていると思われないために勉強していました。でも浪人が終わって筑波に戻ってからは、自分が好きなことを勉強するようになったんです。
浪人期間は、空いた時間にノンフィクションや歌舞伎町関連の本を読んだり、猿岩石の『ユーラシア大陸横断ヒッチハイク』を見たりしていました。ラジオもよく聴きましたし、お笑いを見てバナナマンさんを応援するようになりました。
予備校で受けた現代建築の授業も、かっこいい空間を作るために試行錯誤するのがとても面白くて、自分で空間を考えて、デッサンすることにはまりました。
あまり頑張った浪人生活ではなかったと思いますが、浪人期間にいろんなコンテンツに触れるようになったことで、いろんな選択があると思えたのは大きかったです。目先のことじゃなく、先を見通したものの見方を摂取できたので、周囲と比べることがなくなりました」
建築士以外の進路も考えるように
筑波大学に戻ってからの國友さんは、復学前はいつも憂鬱だった先生の講評がある授業で、周囲とまったく違う作品を作れるようになったと言います。
周りの建築学科の学生が図面を引いて細かく設計をする中で、彼は自転車で積んで移動できるダンボールハウスを設計するといったように、既存の枠組みにとらわれない考え方ができるようになり、大学生活がとても楽になったそうです。
また、世界の広さを実感したことで建築士以外の進路を考えるようになった彼は、建築士の受験資格を取るために必要だった授業を取らずに、文化人類学や社会学、中国史や生物学といった違う学部の授業を積極的に受講しました。
課外活動でも、マッサージのアルバイトを始めたり、香港に自転車を持っていって中国・ベトナム・ラオス・タイなどの海外を見て回ったりするなど、知らない世界を知るために精力的に動きました。その経験を通して彼は、今まで自身が見てきた世界を文章で発表しようと思うようになります。
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