「筑波合格も藝大に挑戦」彼の劣等感が消えた瞬間 ルポライターの國友公司さんに話を聞いた

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それでも、入部した野球部が真面目な雰囲気だったこともあり、しだいに学校生活に適応していった彼は、3年生の8月の引退まで気の合う仲間と野球に打ち込む生活を送ります。その間、勉強は2年半まったくしなかったようです。

「野球部は学年400人中、みんな後ろから20~30番くらいでした。自分も例外ではなく、模試をたまに受けたら、数学は2点とか3点というありさまで、5科目で100/900点いったら喜んでいました……(笑)。先輩もほぼみんな浪人コースだったので、自分も浪人を視野に入れていた感じでしたね」

建築家になりたい夢があった

進路は野球部を引退してから決めようと思っていたそうですが、そんな彼にも「建築家になる」という中学時代からずっと抱き続けていた目標がありました。

「中学までいた那須は観光地だったので、友達もホテルや旅館の息子が多かったんです。そこに遊びに行ったときに見た建築物がかっこよくて、自分も将来はこうした建物を作る仕事に携わりたいと思いました」

しかし、2年半もの間、学年で最下位を争っていた國友さんはどこの大学もE判定。部活を引退してからスパートをかけたところで、なかなか成績は上がらないだろうと考えていました。

そこで彼は、1次試験のセンター試験で必要な科目数が5科目、2次試験は静物デッサンと論文のみで試験を受けられるという理由で、筑波大学芸術専門学群建築デザイン領域を第1志望に設定します。

「建築家になろうと思ったときに、東工大や早稲田の理工学部を目指すとなると、数Ⅱ・Bや 数Ⅲ、 物理が必要です。今からその科目をやって追いつくのは無理だと思ったので、科目を絞って、覚える範囲が少ない理科総合と、もともと好きだった地理を選択しました。

野球部の同期はみんなメリハリがあって、『全員で力を合わせて頑張ろう』という空気を作ってくれたのでありがたかったですね。9〜12月の4カ月間猛勉強したおかげで、センター試験の点数は、5科目で7割くらいを取れるようになりました」

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