静物デッサンはセンター試験(現・共通テスト)の後に予備校に通うことに決め、ひたすら筆記対策を頑張っていた國友さん。とはいえ7割の壁は厚く、センター試験本番では68%に終わってしまいます。これは志望大学の例年の合格ラインである80%には大きく不足していました。
「センター試験の結果を受けたリサーチでD判定が出て、(今年はもう)ダメだ……と思いました。2次試験で必要な静物デッサンも、担任だった美術の先生に基礎やコツを教わっていたくらいで、予備校で本格的にしたことはありません。実技試験までの2週間はパースを取る練習をしましたが、試験本番でも周囲より自分の作品は下手だと思ったので、受かるはずがないと思っていました」
「論文は意外とできた」と語るものの、不合格を確信し、浪人を覚悟していた國友さん。
しかし、なんと彼は合格を勝ち取ったのです。
嬉しい第1志望校への現役合格のはずでしたが、この出来事があまりにも彼の中で想定外であったため、のちの大学生活での苦悩につながります。
大学で劣等感を抱く日々が続く
無事、志望した筑波大学芸術専門学群建築デザイン領域に合格した國友さん。入った大学は、熱心な先生方と、意識が高い学生ばかりだったようで、専攻の学問を熱心に学ぶにはとてもよい場所だったようです。
しかし、この「素晴らしい環境」に苦しんだのは、ほかの誰でもない國友さん自身でした。
「周囲の学生は、みんな高校時代から何かしらの芸術を通ってきている人たちばかりでした。僕は建築がなんとなく好きなのでこの学部に入ったのですが、みんな具体的に『構造が美しいからこの建物が好き』と答えられる”感性”を持っていたんです。
実技の授業でも、劣等感を抱く日々が続きました。作品を作って先生の前で発表し、講評をいただくのですが、自分の作った作品のレベルがあまりにも周りと違いすぎたんです。
周囲との差が埋まらないことに悩むうちにあっという間に1年が終わってしまって、このまま2年、3年が経過したとしても、周りに追いつかないままズルズルいくんだろうなと感じていました。
それで1回大学を休んで考えようと思って、1年生が終わったタイミングですぐに大学を休学しました」
大学を休んだタイミングで彼は、「周囲との差を埋めよう」と思い、浪人を決断します。
「周りとの差をどうしたら縮められるか考えたのですが、自分が芸術の世界でいちばん上とされる東京藝術大学の美術学部建築科に行ければいいんじゃないかと考えたんです。そこで、受験に踏み切って、4月から代々木ゼミナール造形学校に通うようになりました」
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