
革新的な花山天皇を疎んじた兼家
「何とかして花山天皇を引きずり降ろさなければならない」
永観2(984)年に即位した花山天皇の治世がスタートすると、藤原道長の父・兼家はそんな決意を新たにしたことだろう。色好みで奇行が多かったとされる花山天皇だが、即位後は革新的な政策に着手し始めた。
贅沢を禁じ、銅銭の流通を促進させて、適正な続きを得ていない荘園を整理する――。花山天皇は即位するや否や、それらの法令を次々に発出。側近として、天皇の外叔父にあたる藤原義懐(よしちか)を取り立てた(前回記事:式部の父を出世させた「花山天皇」その悲しい顛末 参照)。
関白の藤原頼忠は、ほぼ蚊帳の外に置かれたといってよい。右大臣の藤原兼家や左大臣の源雅信も面白くはなかっただろう。
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