NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第7回は、藤原道長を追い抜きスピード出世した意外な人物を紹介する。
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藤原実頼が「名ばかり関白だ」と嘆いた背景
「流れがきっともう一度は来るはず」
スポーツの試合でそんな実況を聞いたことがあるだろう。人の一生にも、また流れがある。よい流れに乗ることが大事だと。アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーは、こんなことを言っている。
「よい機会に恵まれぬ者はいない。ただそれをとらえられなかっただけなのだ」
時流に乗って若くして富豪になったカーネギーらしい言葉だが、藤原道長の父、藤原兼家もまた紆余曲折を経て「人生の流れ」を実感したことだろう。
兼家の父・藤原師輔は、兄の実頼をしのぐほどの才を持ちながらも、政権を握ることなく、病によって右大臣で死去。師輔亡きあとは、実頼が関白となるが、自らを「揚名関白」つまり、「名ばかり関白だ」と嘆いていたという。
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