家柄が良く才能も豊かな藤原公任
天は二物を与えるどころか、時には三物、四物も与えるのか……。
思わずうらやんでしまうような人物が、いつの時代にもいるものだ。平安時代の貴族社会においては、藤原公任(きんとう)がまさにそんな存在だった。
なにしろ、関白の藤原頼忠という有力者を父にもつだけではなく、母は醍醐天皇の孫の厳子と、皇族からの血も引いている。そのうえ、天元5(982)年に姉の藤原遵子が円融天皇の皇后となった。皇后の弟となった公任は、3年後の寛和元(985)年には、正四位下となっている。
とはいえ、公任が順調に出世したのは、家柄が良かっただけではない。芸術的才能に優れた公任は、特に和歌・漢詩・管弦においては、他の追随を許さないほどの実力を持っていた。


















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