NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第8回は、道長の父・兼家が我が子と比べてうらやんだほど才能あふれた、藤原公任について紹介する。
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家柄が良く才能も豊かな藤原公任
天は二物を与えるどころか、時には三物、四物も与えるのか……。
思わずうらやんでしまうような人物が、いつの時代にもいるものだ。平安時代の貴族社会においては、藤原公任(きんとう)がまさにそんな存在だった。
なにしろ、関白の藤原頼忠という有力者を父にもつだけではなく、母は醍醐天皇の孫の厳子と、皇族からの血も引いている。そのうえ、天元5(982)年に姉の藤原遵子が円融天皇の皇后となった。皇后の弟となった公任は、3年後の寛和元(985)年には、正四位下となっている。
とはいえ、公任が順調に出世したのは、家柄が良かっただけではない。芸術的才能に優れた公任は、特に和歌・漢詩・管弦においては、他の追随を許さないほどの実力を持っていた。
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