「道長が対抗心むき出し」藤原公任の溢れ出す才能 道長の父が我が子と才能比べるほど優秀だった

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「血筋がよくて文化人としても一級の若きホープ」となれば、周囲の注目もおのずと集まる。関白の藤原頼忠も、立派な息子を持ち、さぞ鼻が高かったことだろう。

どうにも気に食わなかったのが、頼忠のライバルで、右大臣の藤原兼家だ。愛妾を多く持った兼家は、正妻格の時姫との間には、3人の男の子をもうけていた。長男の藤原道隆、4男の道兼、そして5男の道長だ。

父にディスられてキレた若き道長

しかし、関白の息子に比べると、我が子たちがどうしても劣ってみえてしまう。息子たちを目の前にして、公任を引き合いに出しながら、こんなふうに嘆いている。

「どうして、あんなに優れているのだろうか。うらやましい限りだ。私の子どもたちが、その影さえ踏むことができないのが、残念だ」

比べられるほうもたまったものではないが、父からの辛辣な言葉に、道隆と道兼はただ、うつむくしかなかった。ただ1人だけ牙をむいたのが、年少の道長である。

「影を踏むことはできないでしょうが、その面を踏んでやりましょう」

道長は公任と同い年ということもあり、対抗意識を燃やしたのだろう。負けん気が強い道長らしい逸話として『大鏡』につづられている。

だが、このときに「顔面を踏んづけてやる!」と意気込んだ相手である公任に、道長は支えられることになるのだから、人生というものはわからないものだ。

あれだけ突出していた公任が、道長に抜かれることになったのは、なぜか。花山天皇がいきなり出家してしまい、一条天皇が即位したことがきっかけである。

のちに「寛和の変」と呼ばれる政変をしかけたのは、右大臣の兼家だ。最愛の女御だった藤原忯子が急死して、失意のどん底にいる花山天皇の様子をみて、兼家は「またとない好機だ」と考えたらしい。

兼家の4男・道兼が「ともに出家しましょう」と誘うと、弱っている花山天皇はそれに同意。寺で剃髪するのを見届けてから、道兼は寺からフェイドアウトしている。哀れな花山天皇は、騙されて出家させられるかたちとなった。

その後、兼家の孫にあたる皇太子の懐仁親王が、一条天皇として即位。外祖父となった兼家は摂政になると、右大臣を辞任。あえて大臣の序列から離脱することで、 摂政として単独で実権を握ることになった。 長男の藤原道隆を始めに、自分の子どもたちを露骨に引き上げていく。

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