道長からすれば、8歳年下の甥に抜かれてしまったことになるが、「やがて人生の流れが来る」と思っていたのだろう。自分の将来を疑うことはなかったようだ。
甥に抜かれても威風堂々の藤原道長
『大鏡』によると、伊周が父の道隆と東三条殿の南院で弓の競射を行っていると、いきなり道長が現れて、ともに競技を行うことになった。
このとき官位は道長より伊周のほうが高かったが、道隆は弟をもてなす意味で、道長に先に矢を射させたという。すると道長が2本とも伊周に勝利してしまう。
これでは面白くないと、道隆や道隆に仕える者たちが「もう2本、延長しなさい」と言い出した。道長は胸中穏やかではなかったが、延長戦を受け入れると、1本目を射るときにこう叫んだ。
「自分の家から天皇や皇后がお立ちになるべきなら、この矢当たれ!」
その結果、道長の矢は見事に的の中心に命中。その次に射た伊周は、プレッシャーで手が震えてしまい、矢はあらぬ方向へと飛んでいってしまう。
続いて道長は2本目の矢を射るが、今度は「自分が摂政、関白になるべきなら、この矢当たれ!」と言い、やはり中心に当てている。
見かねた道隆は「もう射るな、射るな」と伊周を止めて、ゲームセット。何とも気まずい雰囲気が流れたが、道長は得意満面だったことだろう。
やや出来すぎた逸話ではあるが、道長の負けん気の強さをよく表している。その後、道長は甥の伊周との政争を制して、頂点へと上り詰めていくこととなる。
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
笠原英彦『歴代天皇総覧 増補版 皇位はどう継承されたか』 (中公新書)
今井源衝『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
倉本一宏『敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇』 (角川ソフィア文庫)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
鈴木敏弘「摂関政治成立期の国家政策 : 花山天皇期の政権構造」(法政史学 50号)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
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