『週刊文春』の阿川佐和子さんとの対談では「サザンは何を残したんだろうという気になることがありますよ」(1995年6月29日号)とまで述べた。そして、いくつかのインタビューで、日本という国では売れないと居場所がないと語った。
もちろん、桑田さん本人のなかにも意見のブレもあっただろうし、インタビューで語ったことだけがご本人の思考とも思わない。ただ、そこから2000年代前半から後半に移るとき、良い意味での開き直りが感じられる。それは、日本のポップスターとして、そして、大衆音楽のグルとしての。
真摯に仕事さえしていれば心配することはない
文脈はやや異なるものの、「やっぱり日本人にはいちばんあってる音楽は歌謡曲だ、演歌だっていうようなこと言ってもしょうがないし。(雑誌『スコラ』1993年8月12日号)」といった発言が、「今は、自分はロックミュージックをやっているというよりも、歌謡曲をやっていると思ったほうがすごくしっくりくる(雑誌『BRUTUS』2011年3月1日号)」という発言に移行していく。
そしてエロとエンターテイメントを追求したいという、開放感あふれるコメントにつながる。繰り返し、それほど単純ではないと思いつつも、桑田さんご本人のなかには、1990年代に音楽が細分化し、それぞれの小宇宙のなかで完結するシーンを前に、どのように作品をつくるべきかといった葛藤があったように思う。
しかし、2000年の「TSUNAMI」の大ヒットから吹っ切れ、2000年代、そして2010年代にいたるなかに、王道を再発見していったのではないか。新作「葡萄」のキャッチコピーが「大衆音楽の粋、ここに極まれり!」だったのは印象的だ。
桑田さんのインタビューで印象的なのは、自分が好きなことをやるといいつつも、時代とお客が何を求めているかを真剣に考え続けるその眼差しだ。そして、37年の成功も、「常にお客さんのことを考え続ける」姿勢が支えている。
ところで――。
今回、桑田さんのインタビューを再読しているなかで、ふと、次の言葉に突然、胸を衝かれた。
「音楽は裏切るわけにいかないというのはありますよね。常に誠意モードは入れておかないと潰されちゃう」(雑誌『週刊プレイボーイ』1994年9月20日号)
私たちも仕事上でさまざまな支障や葛藤があり、ときにはうまくいかない場合が多いかもしれない。しかし、そんなときにも、真摯に仕事さえしていれば心配することはない。いつか、いつかきっと、うまくいくときがくるのだ――と。
筆者はそれ以外のメッセージを、もはや信じることができない。
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