筆者が好きなKUWATA BAND『NIPPON NO ROCK BAND』については、聴くに耐え難かったらしく、「フリスビーか鍋敷きにしてほしい」とまで語った。飲み屋でかかったら泣く、とも。前述の「月刊カドカワ~総力特集サザンオールスターズ ニッポン最強のメロディ」には過去作品への自己批判であふれすぎており、ファンの筆者からすると「あんなに良い曲をそこまで否定しなくても良いのに」と思うほどだ。
過去の自分が恥ずかしい=成長している証拠
桑田さんは、いろいろなインタビューで、過去作品については、若さゆえの勢いでやったぶん、2、3年ほどたって見ると青い、と語る。しかし、語ったときには”自信作”だったはずの最新作も、数年後には否定するという徹底ぶりだ。最新アルバムの「葡萄」の前に発売した「キラーストリート」は、二枚組の傑作揃いだが、自嘲的に曲の数で勝負するしかなかったとまでいった。2、3年経って気づくと、恥ずかしいという。
なぜここまで過去の自分に厳しくできるのだろうか。
『ジョジョの奇妙な冒険』で有名な漫画家の荒木飛呂彦さんも、「褒められて伸びるのは子どもだけだから、自分は良い作品ができても忘れるようにしている」と語った。たしかに過去作品の肯定は、ともすれば、現状追認と成長の拒絶になるのかもしれない。過去の自分からは成功体験の事実しか得られないとすれば、筆者も上手くできたコンサルティングや原稿、講演なども忘れて生きようと思う。
正直に申せば、1990年代の桑田さんインタビューを読んでいると、ある種の「迷い」があるように感じる。価値観が多様化し、リスナーの好みも多様化し、メインストリートがなくなり、多くのアーティストが売れていながら、なぜか誰もが本流ではなくなった時代。バブルが終わり、日本全体の進むべき道を喪失し、漂う閉塞感。
「200万枚とか武道館何日間とかっていう数字のみで闘ってるのはさ、ある意味じゃ、これは”バンド元禄時代”でも何でもなくて、末期症状だよね。(中略)ミュージシャンが作る話題がそこんとこしにしか行かないっていうのは、やっぱり夢がなさすぎる。(中略)今の日本のロックがどうのこうのとか、語る気にもなれないね。(雑誌『03(ゼロサン)1990年5月号』)」
といった葛藤をストレートに語ったときもあったし、1990年代のインタビューでは、自らの音楽における挫折感を多く語った。
よく出てくるエピソードが、神奈川県・江ノ島での「ジャパン・ジャム」というイベントのものだ。桑田さんいわく、外国人客には何をやってもうけず、いちばん盛り上がったのは、「勝手にシンドバッド」の「ラララララララララッ」だった。この時期に、日本人のロックとは、洋楽に忠誠を誓った歌謡曲なんだといった。英語でロックになるが、日本語では歌謡曲だ、英語圏で通じないものはロックと思わない、と。
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