「だから勝負、勝負、勝負出ろ!!」
サザンオールスターズが2015年3月に発売したアルバム「葡萄」は、こんな出だしの「アロエ」からはじまる。バラッド「はっぴいえんど」に、先行発表された「ピースとハイライト」や「東京VICTORY」からラストの「蛍」にいたるまで、どこを切っても血が出そうなテンションだ。
37年前の6月――1978年6月25日はサザンオールスターズがデビュー曲「勝手にシンドバッド」をリリースした日だ。そこから幾度かの休止を挟んだものの、名実ともに「国民的人気バンド」「キングオブポップス」といえば、サザンオールスターズを思い浮かべる。
4月から始まった新作「葡萄」のツアーも8月のファイナルに向けて佳境に入ってきた。日本各地はサザンの夏で盛り上がり、その人気は衰えを知らない。
桑田佳祐がずっと輝き続ける理由
今では当たり前のようになった、ロックバンド(あるいはポップバンド)がテレビに出演してプロモーションを行う”型”も、いわゆる日本語と英語がミックスされた歌詞の”型”も、そしてなによりエロとエンタメを音楽にふんだんに入れる”型”も、サザン=リーダーの桑田佳祐さんが本格的に持ち込んだ。
筆者は1990年、当時小学6年生のときにサザンと出会った。その後、音楽雑誌『What’s in』や『宝島』を購入しては桑田さんの言説を確認していた。そこには一般的なイメージとはだいぶかけ離れた桑田さんがいた。”厳しすぎる”ひとりの男性だった。
たとえば、1992年12月号の雑誌「月刊カドカワ~総力特集サザンオールスターズ ニッポン最強のメロディ」は衝撃的だった。“ニッポン最強”と銘打っているのに、桑田さんの口から出るのは、自分の過去作品に対する後悔ばかり。自分のボーカルを退屈とすら断定していた。
「これ、マジであの桑田さんかよ」と信じられなかった。あれほど成功し、ヒットチャートを賑わしているにもかかわらず、自己否定ばかり。筆者は勝手にその発言から、「プロの厳しさ」を知った。もちろんこのように言葉にできるようになったのは最近だ。
そして筆者はそれから24年にもわたって、桑田作品とサザン作品を聴くだけではなく、発言をずっと集め続けてきた。どんな職業人にも通奏低音として参考になるからだ。
「アーティストは才能がすべてだから一般人には役立たない」という意見に筆者はくみしない。トップを走り続ける一流は、常に参考になる。そしてなにより、お客を楽しませねばならない過酷な世界で生きるノウハウは、かならず示唆に富んでいる。
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