変態ではない!女装生活は「男性の解放」だ マッチョな俺に、さようなら
著者は「なんでわかってくれないんだ」と心の中で叫ぶ一方、「変態だと思われるぞ。このまま突っ走って本当に良いのか?」と自問自答する。そこまでの葛藤がありながら、なぜ、女装することになったのか。
寒いからストッキングを履いてみたのが引き金になったが、根底にあるのは、「男ってなんでこんなにも不自由なのだ」という疑問だ。
男の社会は「しなければいけない」の連続
著者は男社会の物差しでは前述のように成功している。誰もがうらやむ美女とも浮名を流した。それでも男社会を取り巻くマッチョな志向に縛られ続けて、安堵するときを迎えられなかった。
女性の前では格好良くなければいけない。
物わかりがよくなければいけない。
機知に富むジョークを飛ばさなければいけない。
タフであり、優しくなければならない。自分を大きく見せるために、威厳を保たなければいけない。
男の社会はどこまでも「しなければいけない」世界の連続であった。女装は著者にとって、固定概念からの退却であった。
自我を壊すことで、狙いどおり開放的な気分になる。当初は周囲の目を気にしていたが、意外にも世間の目は想像していたよりも女装した著者に優しい。産婦人科の検診を受け、飛行機に乗って海外旅行に出かける。著者の心配と対照的に出国審査は素っ気なく済むのが印象的だ。女装したことによる著者の大胆な行動は、同時に周囲の男のプライドの高さやコミュニケーション能力の低さを浮き彫りにするのだが。
女装に伴う著者の内面の変化と同時に、他者が著者に投影していたイメージも変わる。「イメージの交換であり、イメージを本質と考え、評価する」ことに息苦しさを感じることにもなると語る。
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