2007年、約60年ぶりに母校・山形大学大学院(理工学研究科)の博士課程に進学、経営理論を基にした人材育成論を研究しました。そして昨年3月、86歳で工学博士号を取得しました。世界的にも最高齢での工学博士号取得だと思います。この年齢まで学び続けることができるのは、いつでも理想を持っていようと心掛けているから。サミュエル・ウルマンの詩にも、「理想がなくなったときに人は老いる」とあります。
私が社会人として最初に勤めた会社は、波風を立てずに一生勤めていれば安泰、といった社風でした。私は自分の力をもっと生かしたいという理想を持っていたのですが、周囲にはなかなか理解されませんでした。その当時の日本のビジネス社会では、個性は必ずしもよしとされていない面もあったんですね。その会社では労働組合の役員もやり、自分の中にリーダーシップのようなものがあることに気づきました。結局、28歳のときに会社を辞め、佐藤ビニール工業所(後のタカラ、現タカラトミー)を起こしたのです。
だっこちゃん人形がヒット
大学で学んだビニール加工技術を生かして下請けで財布や雨がっぱなどビニール製品を製造していたのですが、1960年に漫画『冒険ダン吉』をヒントにヤシの木に抱きつく人形をインテリア用品として発売したら、おもちゃとして大ヒットになった。これがだっこちゃん人形です。年間240万個、売上高2億円となったこの商品で、玩具メーカー経営者としての歩みが始まりました。
だっこちゃん人形がヒットした理由を分析し、7年間研究して67年に発売したのが、リカちゃん人形です。日本初となるテレビCMなど、マーケティング理論に基づいて戦略的に販促を行い、こちらも大ヒット。ロングセラー商品になりました。その後も、人生ゲーム、チョロQなど数多くの商品に恵まれました。
ヒットをどうやって作るのかとよく聞かれますが、ヒット商品を生み出す力は一つのスキルであり、熟練した技だというのが私の考えです。そのスキルの中でいちばん重要なのがひらめきなのです。振り返ると、私が玩具市場で実現したことは「素材革命」。ブリキやセルロイド、木といった素材でできていたおもちゃのほとんどは、プラスチック製に替わりました。最初は、ほかの素材を駆逐するとは思いませんでしたが、色がきれいで、大量生産ができてコストも安い。そんなプラスチック素材を活用することで、おもちゃの世界に革命が起きたのです。
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