そんなことよりも、個人的に興味深いと思ったのは、論争が起こるくらい多くの一般人が漫才というものについて自分なりの考えを持っていて、それを他人に主張したくなっていたという事実だ。いつから日本はこんなにも国民の漫才への意識が高い「漫才先進国」になったのだろう。
もちろんそれは「M-1グランプリ」が生まれたからだ。新しい漫才の大会「M-1」が始まり、それが徐々に人気を獲得していき、今では年末の風物詩としてすっかり定着して、国民的行事と呼べるほどの高い視聴率を取るようになった。
「M-1」は芸人と観客を育てた
「M-1」は、それまでにもあったようなただの漫才番組ではなかった。漫才という芸の面白さや奥深さを人々に発信する役目を担っていた。出場する芸人は、一攫千金の「M-1ドリーム」をつかむために、決死の覚悟で厳しい予選に挑む。回を重ねるごとに大会のレベルは上がっていき、決勝まで勝ち残った芸人の珠玉の漫才は、日本中を大きな笑いで包むようになった。
「M-1」は芸人を育てると同時に、観客を育てた。今まで以上に人々が漫才に興味を持つようになり、ついには多くの人が自分なりの「漫才観」を持つまでになった。あの漫才論争は、この国における漫才文化の成熟の証しでもある。
私はお笑い全般に関する執筆を生業としている。2010年には「M-1グランプリ」のそれまでの歴史をまとめた『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)という著書を出版したこともある。
そんな私にとって、島田紳助氏と吉本興業の谷良一氏が漫才復興のために「M-1」という大会を立ち上げた、という「M-1誕生物語」は、事実としてはすでに知っていることだった。
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