島田紳助16年ぶりの告白「M-1作った本当の人物」 今初めて明かされる、M-1グランプリ誕生秘話

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 最新
拡大
縮小
「M-1グランプリ2010」の出演者たち
芸能界を引退した島田紳助氏(左から3人目)が、「M-1」にずっと思い続けてきたこととは?(写真は「M-1グランプリ2010」の出演者たち。写真:時事通信)
2011年に表舞台から去った島田紳助氏には、「M-1」についてずっと言いたかったことがあった――。
元吉本興業の谷良一氏が「M-1グランプリ」の立ち上げについて初めて書き下ろした『M-1はじめました。』の帯を島田氏にダメもとでお願いしたことから、熱い再会ドラマにつながった。谷氏が番組プロデュースの現場を離れて以来、16年ぶりに言葉を交わした2人、それぞれの思いとは。
M-1はじめました。』から「谷と作ったM-1(島田紳助)」「あとがきのあとがき(谷良一)」を、一部編集のうえ全文掲載する。

本番前の楽屋に訪ねてきた谷

「谷と作ったM-1」 島田紳助

M-1はじめました。
『M-1はじめました。』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

谷が、読売テレビの本番前の楽屋に訪ねてきて、会社から漫才を盛り上げろと言われたのですが、なんか知恵貸してくださいという風な会話から、全てが始まりました。

私の中で、2つの思いが心の中にあり、本番前の短い時間、谷の話に乗りました。

ひとつは、私は18歳で弟子になり漫才の道に進むのですが、漫才をずっとやる気はなく、夢は東京で司会者になること、だから漫才は最初から10年でやめる計画でした。実際は8年でやめたのですが、コンビを組むときに相方の竜介にも10年しかしないと話してのコンビ結成でした。

ですから、自分の夢が叶っていくと、漫才に対して利用したような罪悪感がいつもありました。

次ページ島田紳助氏のもう1つの思いとは?
関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT