M-1創設者がバッテリィズに泣きそうになった理由 理論派が目立ってきたM-1に2人が与えたこと

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(写真:「M-1グランプリ」公式Xより)
令和ロマンが史上初の2連覇を果たした「M-1グランプリ2024」。今回で20回目となったこのコンテストは、かつて人気が下火だった漫才を盛り上げるために元吉本興業の谷良一氏がゼロから立ち上げた経緯がある。書籍『M-1はじめました。』で当時の舞台裏を明かした谷氏は、今回のM-1をどう見たのか――。

M-1敗者復活戦に対する疑問

今年も去年に続いてM-1の観戦記を書かせていただく。ひと言で言うと、めちゃめちゃおもしろかった。これに尽きる。

M-1はじめました。
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まず敗者復活戦から。今年から室内でやることになった。2002年に敗者復活をはじめたとき、本来は負けたら終わりのM–1で、もう一度チャンスを与えられるのだから正規に勝ち上がった者と徹底的に差を付けようと思った。そうでないと、勝者にメリットがない。

なので大阪から深夜バスは出すけれども、新幹線も、泊まるホテルも何も出しませんよとした。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と一緒でこの糸を見事に這い上がってきた者にはチャンスを与えるという意味だ。

なので寒風吹きすさぶ中、たとえタンクトップと短パンという衣装であってもそのままやらせた。敗者復活戦を始めた2002年には小雪が降ってきてぼくはほくそえんだ。

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