【今年で20回目を迎えたM-1グランプリ。こちらは2023年11月15日に公開した記事の再配信です。】
2011年に表舞台から去った島田紳助氏には、「M-1」についてずっと言いたかったことがあった――。
元吉本興業の谷良一氏が「M-1グランプリ」の立ち上げについて初めて書き下ろした『M-1はじめました。』の帯を島田氏にダメもとでお願いしたことから、熱い再会ドラマにつながった。谷氏が番組プロデュースの現場を離れて以来、16年ぶりに言葉を交わした2人、それぞれの思いとは。
『M-1はじめました。』から「谷と作ったM-1(島田紳助)」、「あとがきのあとがき(谷良一)」を、一部編集のうえ全文掲載する。
本番前の楽屋に訪ねてきた谷
「谷と作ったM-1」 島田紳助
谷が、読売テレビの本番前の楽屋に訪ねてきて、会社から漫才を盛り上げろと言われたのですが、なんか知恵貸してくださいという風な会話から、全てが始まりました。
私の中で、2つの思いが心の中にあり、本番前の短い時間、谷の話に乗りました。
ひとつは、私は18歳で弟子になり漫才の道に進むのですが、漫才をずっとやる気はなく、夢は東京で司会者になること、だから漫才は最初から10年でやめる計画でした。実際は8年でやめたのですが、コンビを組むときに相方の竜介にも10年しかしないと話してのコンビ結成でした。
ですから、自分の夢が叶っていくと、漫才に対して利用したような罪悪感がいつもありました。
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