島田紳助16年ぶりの告白「M-1作った本当の人物」【再配信】 今初めて明かされる、M-1グランプリ誕生秘話

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そしてもうひとつは、50歳で引退する、そして違う人生を楽しむという計画があり、心残りを全てクリアーしたい思いがありました。

予選からはじめて最後は賞金1000万

そんな時、谷からの漫才を盛り上げたいという言葉で、こんな物を作ろうと話をしました。

普通の人間なら、そうですねーと相槌打って終わるのですが、谷はいつものように熱く語るでもなく、淡々と内容を質問してきます。

演者が審査に納得する戦い、だから審査員は点数をその場で公開する、これも審査員が笑いのセンスを視聴者に審査されるわけですから、やってくれる人間がいるか?

そして、高校野球のように、予選からはじめて、プロセスから見せて盛り上げる。

最後は賞金を1000万。

新人の漫才の大会で、1000万なんて当時は超破格でした。

そんな私の提案を、谷は1人で動き、1人で作り上げていきました。

私は表の人間ですから、島田紳助がM-1を作ったと言われてきましたが、私の中では、M-1は俺と谷で作ったんだと、ずーっと思い続けていました。

私がライダーで谷がメカニック、2人のチームでした。

谷は裏で苦労したことも沢山あったでしょうが、私も表で大変でした。(笑)

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