M-1創設者がバッテリィズに泣きそうになった理由 理論派が目立ってきたM-1に2人が与えたこと

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世界遺産を知らないエースのアホぶりはファーストステージと同じ展開。だが、令和ロマンがファーストと全然違う動きのあるネタで笑いをさらったあとで、ファーストと同じタイプのネタはマンネリ感があった。

やる順番はファーストステージ上位のものから選べる。バッテリィズは何番目を選ぶか迷っただろうが、やはり一番無難な3番を選んだ。ぼくもそうしただろうが、もしかしたらこれが敗因かも。まだファーストステージの余韻が残っているトップに出て、ぶっちぎりの差をつけておくべきだったかもしれない。

M–1をよみがえらせたバッテリィズ

結果はやはり9人中5票を獲得した令和ロマンの優勝。妥当なところだろう。古い話だが、ぼくは横綱大鵬と柏戸の戦いを思い出した。ものすごい馬力と突進力を持つ柏戸だったが、強さと共に柔らかさを併せ持つ大鵬に勝てなかった。今回のバッテリィズはまさにそれだった。ものすごい力を持っていたが、変化がなかった。

しかし、理論派が目立ってきた最近のM–1に原点の漫才をぶちこんできたバッテリィズ。彼らはM–1に新しい息吹を持ち込んでよみがえらせた気がする。M–1はまだまだ進化するに違いない。

6時半から10時10分まで3時間40分の長丁場。これはプロ野球、しかも延長ありみたいな放送時間は少々長すぎるのではないかと思ったが杞憂だった。水増し感なし、全然長く感じなかった。

今年もM–1はおもしろかった。

やっぱり漫才おもろいで!

谷 良一 元吉本興業ホールディングス取締役

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たに りょういち / Ryoichi Tani

1956年滋賀県生まれ。京都大学文学部卒業後、81年吉本興業入社。間寛平などのマネージャー、「なんばグランド花月」などの劇場プロデューサー・支配人、テレビ番組プロデューサーを経て、2001年漫才コンテスト「M-1グランプリ」を創設。10年まで同イベントのプロデューサーを務める。よしもとファンダンゴ社長、よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務、よしもとデベロップメンツ社長を経て、16年吉本興業ホールディングス取締役。20年退任。大阪文学学校で小説修業、あやめ池美術研究所で絵の修業を始めるかたわら、奈良市の公益社団法人で奈良の観光客誘致に携わる。23年、雑誌『お笑いファン』で谷河良一名義で小説家デビュー。

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