「人の本性は悪」ではない!「性悪説」の正しい意味 荀子の真意は「人間にはルールと恩賞が必要」
荀子は、「君主は舟で人民は水である。水は舟を載せるし覆しもする」と言ったように、ルールにのっとって動く、一人ひとりの人間の意欲と力を重視した。
したがって、ちょうど治水事業によって河川を穏やかにし、農業や水運に使うように、君主はルールによる社会教育で、それぞれ異なった快楽や利益をもとめる人間を、一つにまとめていかねばならないのである。
ルールの前に恩賞を
だが、人間が快楽と利益を求める限り、彼らが進んで一つの方向を向くには、ルールだけでは足りず、恩賞を与えることで、ルールに従うことが快楽や利益につながると思わせねばならない。
全ての人々に行き渡る最大の恩賞とは、恒久的な収入上昇である。最低限の生活に不足がなく、ちょっとした贅沢ができるような収入を保証し続ければ、大多数の人々は喜んでルールに従おうとする。
荀子は当時の生活必需品と贅沢品を列挙し、それがみなに行き渡る方法について、執拗なほど詳細に述べているが、それは人々の意欲を引き出し、その力をまとめあげるために、極めて重要だったからである。
つまり、ルールと恩賞がかみあって、はじめて人々の力にベクトルが発生し、社会が回り出す。これが本当の性悪説である。
これをビジネスや政治にあてはめると、ガバナンスやコンプライアンス、法令や政令を整備するのはもちろん大事な仕事である。しかし、それに比例して、末端の社員や大多数の中間層に、手厚い福利厚生や賃金上昇を保証しないのは、無理な河幅や分岐を設定するようなものである。これでは水が涸れ、あらぬ方向に氾濫してしまうように、人々の意欲は減退し、生産性は地滑り的に低下するであろう。
こういうときは、むしろ受け取る側がびっくりするくらいの利益を与え、彼らのやる気を引き出してから、あらためてルール設定を徹底したほうが、組織の安定と活性化につながる。これが性悪説の活用法である。
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