「人の本性は悪」ではない!「性悪説」の正しい意味 荀子の真意は「人間にはルールと恩賞が必要」

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性悪説をはじめに提唱したのは荀子(生没年未詳)である。

性とは「生まれつき」という意味で、荀子は、人間の心には生まれつき善と悪があるとした。これはちょうど、心を○で表して真ん中に縦線を引き、左右を善悪で分けるイメージである。そのうえで、悪の部分を強調すると、「性悪説」になる。

これは善の部分を強調して性善説を説いた孟子(前372?~前289?)と同じ心の理解である。つまり、孟子と荀子、性善説と性悪説はどちらも同じ心のイメージを持っており、善と悪、どちらに注目すべきかで対立したのである。

荀子のいう善悪とは、社会性の有無で説明できる。すなわち、人間は生まれつき社会的な言動をとる心(善)があるものの、一方で身体的な快楽や利益の独占をもとめて人々と争う心(悪)がある。

性善は放っておいても問題ないが、性悪は矯正しなければ社会を壊す。よって性悪を強調して矯正を図るのである。

人間は社会教育を受けないとまともにならない

孟子の場合は、善なる心を拡充することを説いた。善を拡充すれば悪はその領域をせばめていく。

これに対し荀子は、社会におけるルール(礼)づくりを徹底した。荀子のいうルールとは、国家の制度や法令、規範から、生活における調度品や服装、所作までを含む。

「青は藍より出でて藍より青し」ということわざがあるが、これはもともと、藍を加工することで青色がさらに際立つことから、人間も人為的なルールによって教育されることで良くなるという、荀子の言葉である。

このように、人為的なルールづくりによって人々を誘導し、社会教育を施すことで、荀子は悪を矯正しようとしたのであった。これはちょうど、法令や政令、ガバナンスやコンプライアンスを整備し、それに従わせることによって、一人ひとりの内面を変えていく、教育効果を狙っていく考え方と同じである。

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