「人の本性は悪」ではない!「性悪説」の正しい意味 荀子の真意は「人間にはルールと恩賞が必要」

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誤解されがちな「性悪説」の本当の意味を解説します(写真:あやちゃん/PIXTA)
なぜ「無敵の人」が増え続けるのか、保守と革新は争うのか。このたび上梓された『武器としての「中国思想」』では、私たちの日常で起こっている出来事や、現代社会のホットな話題を切り口に、わかりやすく中国思想を解説している。本稿では、同書の著者である大場一央氏が、誤解されがちな「性悪説」の本当の意味を解説する。

性悪説は「人を疑ってかかれ」ではない

中国思想の講義を担当していると、たまに学生から面白い話が聞ける。その一つとして出てきたのが、某テレビ番組における「性善説vs.性悪説」という企画である。

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筆者は直接視聴していた訳ではないのだが、要するに人間を信用してかかるか、疑ってかかるかという議論をしていたらしい。番組の内容はともかく、そうした性善説や性悪説の(意図的な?)誤解はたまに耳にするから、一定数そうした理解が定着しているのだろう。

確かに、人間は人づきあいをし、組織に所属する中で、少なからず喜びや失望を感じる。そんなとき、「人間」という大きな主語で、信用できるかできないかを考えることはよくある。そこにそれらしく性善説と性悪説と名づけることで、何となく証明された気持ちになる。

とはいえ、それはあくまでも個人的な喜びや失望を、理屈で正当化しているだけで、あまり意味がない。みんなを信用してかかれば痛い目に遭うし、みんなを疑ってかかれば社会生活を送れない。そんなことは自明であり、どちらも間違いだからだ。

では、本当の性善説と性悪説はどんな議論なのか。性善説については以前解説した。そこで、性悪説の意味を簡単に紹介してみたい。

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