「性善説」を誤解して日本人が受容してしまった訳 「どんな悪人も同情すべき事情がある」ではない
なぜ「無敵の人」が増え続けるのか、保守と革新は争うのか、人間性と能力は比例するのか。このたび上梓された『武器としての「中国思想」』では、私たちの日常で起こっている出来事や、現代社会のホットな話題を切り口に、わかりやすく中国思想を解説している。本稿では、同書の著者である大場一央氏が、誤解されがちな中国思想の言葉を読み解く。
「すべての人は無条件に善人」は誤解
「こうも陰惨な事件が続くと、もう性善説では通用しないね」
そんな言葉を耳にしたことはあるだろうか。これは、性善説という言葉の意味を、「みんな同じように善意で生きている」と捉えた例である。そこから派生して、どんな悪人も同情すべき事情がある、などと言ったりする。
会社勤めの場合、「性善説でやると在宅勤務の成果があがるか疑わしい」などと言ったりするそうだ。こちらも「みんな同じように誠実に仕事にとりくむ」と言った意味で使っている。
要するに、現代日本で性善説は「すべての人は無条件に善人である」とされることが多いのだが、この使い方は間違っている。
そして、その間違い方には、いかにも日本人らしい思考が存在する。
では正しい意味は何で、どうしてそうした間違いになってしまうのか。少し考えてみたい。
トピックボードAD
有料会員限定記事
キャリア・教育の人気記事
無料会員登録はこちら
ログインはこちら