「性善説」を誤解して日本人が受容してしまった訳 「どんな悪人も同情すべき事情がある」ではない

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したがって、我々は日常生活でこの四端を育てながら、人間性を高めつつ、社会を少しずつより良いものにしなければならない。生活の中で四端を育てることを「拡充」という。

つまり、性善説を説くことで強調されるのは拡充であり、一人一人の生活にフォーカスして社会を良くすること、これが性善説の論旨である。

思想ではなく庶民感情

問題はここからである。

誰しもが生まれつき倫理的な素質を持ち、それを拡充によって育てなければならないなら、他者を思いやれず、悪事を平気でやり、自己主張ばかりで、善悪の判断がつかないような人間はどうなるか。

これは生まれ持った素質があるにもかかわらず、怠慢によって堕落した結果だから、問答無用で人間失格の烙印を押される。

すなわち、本来の性善説にもとづけば、凶悪犯は人間ではないとされ、極刑に処せられるし、人の目を盗んで仕事を怠ける社員はクビになるだけだ。そこには同情心のかけらもない。

本当は性善説ほど恐いものはないのである。

これに対比すると、性善説の間違い方にも一つの特徴があることがわかる。

「すべての人間は無条件に善人である」というのは、それこそ落語や講談に登場する人情の世界であり、いろんな悪事をはたらく人や、怠けてばかりで使い物にならない人であっても、どこかに優しさや愛嬌があり、またそうなってしまう事情があるという考え方である。

これは思想というよりも、むしろ庶民感情である。

江戸時代は武士が『孟子』をはじめとする儒教で倫理を学び、庶民は落語や講談で人情を学んでいた。両者がすみ分けることで、性善説と人情の混同は起こらず、互いに日本社会を維持していた。しかし、近代にはそうした区分がないから、あっという間に人情一色になってしまった。これが性善説を誤用する理由だろう。

したがって、冒頭のせりふを正しく言い直すと、「こうも陰惨な事件が続くと、もう人情では通用しないね」「人情でやると在宅勤務の成果があがるか疑わしい」としたほうがしっくりくる。

人情の世界が通用しなくなったのは、安心してよりかかれる共通の倫理がなくなったためである。言い換えればお互いの信頼が低くなったということだ。したがって、人情の世界を回復するには、もう一方の倫理を回復する必要があり、そのためにはむしろ今こそ性善説が必要なのである。

大場 一央 中国思想・日本思想研究者、早稲田大学非常勤講師

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おおば かずお / Kazuo Oba

1979年、札幌市生まれ。早稲田大学教育学部教育学科教育学専修卒業。早稲田大学大学院文学研究科東洋哲学専攻博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。現在、早稲田大学、明治大学、国士舘大学などで非常勤講師を務める。専門は王陽明研究を中心とする中国近世思想、水戸学研究を中心とする日本近世思想。著書に『心即理―王陽明前期思想の研究』(汲古書院)、『近代日本の学術と陽明学』(共著、長久出版社)などがある。

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