夫婦を襲う「中学受験クライシス」のまさかの末路 心理学的に読み解く「中受離婚」のメカニズム

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苦しいけれど、そこでお互いの分化度を上げなければならない。自分の考えや感情を相手のせいにせず、問題に向き合い、自分にできることとできないことを峻別し、自分にできることをする。家族の一員でありながら、独立した個人として振る舞わなければいけない。

それができれば、子どもを共依存の負の連鎖に巻き込まなくてすむし、むしろ子どもの分化度も上がる。すなわち人間的成長が得られる。

ところが困ったことに、分化度の低いひとほど、目立った対立がないことを順調に物事が進んでいる証拠だと誤解することが多い。せっかく危機が生じても、夫婦での衝突を避け、小手先で回避しようとしてしまう。すると、人間的成熟が得られないままになる。

先送りされ続けた問題が大きくなりすぎると、分化度の低いひとは、「情動のカットオフ」という形で突然関係を切り捨てることがある。夫婦の場合、離婚を意味する。しかし、カットオフを用いると、さらに個人としての分化度は下がり、悪循環をくり返す。

中学受験クライシスを回避しても、思春期クライシス、更年期クライシス、転職クライシス、リストラクライシス、定年退職クライシス……家族を揺るがす危機はいくらでも襲ってくる。どこかの機会で分化度を上げられなければ、どのみちいつか破綻する。

自分の人生を生きなければいけない

ここで視点を転換して子どもの側から見てみる。中学受験生であった小5の秋に両親の中受離婚を経験した、現在20代後半の男性は当時をふりかえり、「子どもには子どもの人生があるのだと認識する必要が親にあるのと同様に、親には親の人生があるのだと子どもも認識したほうがいい」と語った。

この発言は、心理学者のアルフレッド・アドラーが提唱する「課題の分離」という概念を前提にしている。「その課題に最終的に結論を出すべきなのは誰か」「その課題の責任を最終的に負うべきなのは誰か」という2点に集約される。

勉強を頑張るか頑張らないか、その結果志望校に受かるか受からないか、進学先で得られる環境を最大限に活かせるか活かせないか……。すべては子どもが結論を出すべきことであり、子どもが責任を負うべきことである。

心配して口を出すのは親の性ではあるが、親に責任はない。それなのに、勝手に自分の責任だと思い込むから、親は子どもの課題を横取りし、解決できるはずもないから、勝手に空回りして、熱くなる。

子どもの人生は子どものものだと、親がまず認識する必要がある。しかし逆の立場から考えてみると、親の人生は親のものだと、子どもも認識する必要があると男性は訴えるのだ。

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