「真っ暗闇での探検」が私たちに見せてくれるもの 「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の醍醐味

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「初めてダイアログを日本で開催した時、お客さんが泣きながら会場から出てきたんです。『どうして泣いているの?』と聞いたら、『人が好きだと気づいたから』っておっしゃっていました。暗闇の中は不安だから、人と肩が触れたり、ぶつかったりすることすらうれしくて安心したんですって。普段、満員電車では見知らぬ人とぶつかるたびに舌打ちして悪態をついていた、そんな自分を嫌悪していたのに。『ホントは、人の存在はありがたいものなんだと気づけたから泣けた』と。私、それを聞いて、すごく嬉しかったんです」

死への恐怖心を和らげてくれるものとは

季世恵さんがダイアログ・イン・ザ・ダークの設立に関わったのは1999年に日本で初開催をする以前からだ。既に縁あって依頼を受けた人のターミナルケアに従事しながら、薬剤師であり整体師だった当時の夫、故・志村紘章氏と設立した薬局と治療院を併設した「癒しの森」にてメンタルケアを担当していた。

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の扉(撮影:尾形文繁)

訪れる患者さんたちの様々な心の病に寄り添い、気がつけば、予約は1年半待ちに。唯一無二のセラピストになっていた。その後、志村氏との死別を経て「癒しの森」は閉院したものの、彼女のケアやセラピーを求める人はますます増えて行った。

そんな時、ダイアログ・イン・ザ・ダークは常設展へと発展する。そもそもダイアログ・イン・ザ・ダークは1995年に当時は知人だった金井真介氏(現在の夫)がドイツで生まれ人気を博していたダイアログ・イン・ザ・ダークについての新聞記事を見つけ、これをぜひ日本でもやりたいと季世恵さんに相談を持ちかけたのがきっかけだ。

「面白そうだけど、正直、日本で実現するのは難しいと思っていました。現状、社会に受け入れ態勢がないかなと。でも、真介さんの熱意に背中を押されて、この船に乗ってみようと思いました。実際、実現させるまではとてつもなく労力がかかったし、オープンしてからもずっと大変。正直、今も大変です。でも、続けるほどに、ダイアログは今の時代、みんなにとって必要なものだなと感じています」

ダイアログ・イン・ザ・ダークに関わったことも、それを創り上げ、常設展に発展し今では視覚障がい者だけでなく、様々なマイノリティの人が関わるダイバーシティのミュージアムとなり世の中に浸透させる役割を担ったことも、ある種の運命のように感じている。

なぜなら、人々がダイアログを体験して感じられることや得られることは、季世恵さんがそれまでケアをしてきた数多の人々から聞いたことにとても近かったからだという。

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