秀吉が後継者に切腹命令?「豊臣秀次の死」のナゾ なぜ秀次は亡くなったのか?秀吉との関係は?

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どうする家康 大河ドラマ
秀吉の甥、秀次はなぜ死んだのか。写真は秀次が自害した高野山(写真: Ehime Orenge / PIXTA)
今年の大河ドラマ『どうする家康』は、徳川家康が主人公。主役を松本潤さんが務めている。今回は豊臣秀吉の甥、秀次の死の背景について解説する。
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豊臣秀吉は正妻・おねとの間には子宝が恵まれなかったが、天正17年(1589)、側室の淀殿(浅井長政と信長の妹・お市との間に生まれた娘)との間に鶴松が誕生する。

しかし、鶴松は天正19年(1591)、3歳で亡くなってしまう。男子を失くした秀吉の悲しみは尋常ではなく、このことが秀吉に明国征伐の決意を強固にさせたという見解もあるほどだ。

秀吉の第二子、秀頼が誕生する

秀吉は朝鮮出兵に先立ち、甥の豊臣秀次に関白職と聚楽第を譲っていた。この時は、秀次を後継者にするとの考えだったのだろう。

ところが、文禄2年(1593)8月、大坂城で淀殿が秀吉の第二子を出産する。拾丸(ひろいまる)、後の豊臣秀頼である。秀吉は伏見城を拡張し、ここに秀頼を住まわせた。

ちなみに、秀頼は秀吉の実の子ではないとする説もある。淀殿と大野治長(豊臣家臣)の子であるというのだ。秀頼が誕生する10カ月前に、秀吉と淀殿が同じ場所にいなかったからということをその理由に挙げる学者もいるが、実子か否かの真相は依然、闇のなかである。

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