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沢知恵がメジャーデビュー6年で選んだ独立の道 東京芸術大学の受験に反対した父が遺した言葉

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ひと烈風録【中編】

シンガーソングライターの沢知恵氏
ハンセン病問題について「社会の差別と偏見は今なお残っている」と語る沢知恵。長年、演奏や講演を通して啓発を続けている(撮影:大月えり奈)

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『週刊東洋経済』5月25日号の「ひと烈風録」は沢知恵。東京芸術大学時代にメジャーデビューを果たした大型新人だったにもかかわらず、商業至上主義から離脱した。人と社会を正直に歌う歌手、そして音楽文化研究者でもある。
※ひと烈風録【上編】はこちら
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沢知恵は1971年2月、神奈川県川崎市で生まれた。5代にわたるクリスチャンだ。

父・正彦は戦後、韓国に留学。日本が朝鮮半島を植民地支配した贖罪(しょくざい)の意識から日韓の懸け橋になりたかった。そこで出会った母・金纓(キムヨン)と結ばれる。両親の共通点は「偽物の権威が大嫌い」。沢は、そんな両親の強い影響を受けて育つ。

牧師だった父の宣教活動で、2歳のときに韓国・ソウルへ。そこでピアノを始めた。6歳のときに米国に移り、ゴスペルと出合う。魂がぶつかり合い、全身からエネルギーがほとばしる。忘れられない衝撃を受けた。

小学校3年から東京で生活。ピアノが好きで朝から晩まで夢中になって弾いた。都立高校に入ったが、父の宣教活動で再び米国へ。ここでジャズに出合う。「このあふれるスイング、何? 譜面がないのにずっと吹き続けるってどういうこと!?」。

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