秀吉が後継者に切腹命令?「豊臣秀次の死」のナゾ なぜ秀次は亡くなったのか?秀吉との関係は?
秀吉は、秀次の自害をもって彼を「無実」とはしなかった。謀反として事件を処理したのである。
これは、秀吉の望むところではなかったかもしれない。前述したように、秀吉は秀次の自害を望んでいなかったからだ。
あえて秀次謀反を喧伝した?
それでも、秀次は自害してしまった。この想定外の出来事に対応するため、秀吉は秀次妻子の惨殺という強硬手段に出たのだろう。「秀次謀反」を喧伝することによって、秀吉は諸大名の引き締め、統制をはかろうとしているようにも思える。秀吉は秀次事件を最大限利用したとも言えるだろう。
(主要参考文献一覧)
・桑田忠親『桑田忠親著作集 第5巻 豊臣秀吉』(秋田書店、1979)
・藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社現代新書、2007)
・服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社、2012)
・渡邊大門『秀吉の出自と出世伝説』(洋泉社、2013)
・矢部健太郎『関白秀次の切腹』(KADOKAWA、2016)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら