「家康はなぜ江戸を選んだか」超納得の深いワケ 小田原でも鎌倉でもなかったのはなぜなのか

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どうする家康
皇居の富士見櫓(写真:massyu / PIXTA)

今年の大河ドラマ『どうする家康』は、徳川家康が主人公。主役を松本潤さんが務めている。今回は家康が江戸を本拠地に選んだ背景を解説する。

天正18年(1590)7月5日、豊臣秀吉の大軍に攻められた小田原の北条氏直は開城・降伏し、北条氏は滅亡した。

秀吉は、13日に小田原城に入ると、論功行賞を行う。3万騎の軍勢を率いて戦に参加した家康にも恩賞として、伊豆・相模・武蔵国の全域、上総・下総・上野国の大半、下野国の一部が与えられた。これらの大半は、北条氏の旧領だった地域だ。

これまで家康が治めてきた領地は?

その一方で、それまで家康が治めてきた領地(三河・遠江・駿河・甲斐・信濃国)は放棄しなければならなかった。なお家康の旧領には、織田信長の次男・信雄が入ることになったが、信雄はそれを拒否した。秀吉は機嫌を損ね、信雄には下野国那須2万石だけが与えられた。結果、家康の旧領は、池田輝政・堀尾吉晴ら秀吉の直臣に与えられた。

『三河物語』には、秀吉が家康に対し「国替えをなされるなら、関東に替えられよ。嫌だと考えるならば、それでもよい。お考えのままに」と言ったとされる。だが家康がもし関東への国替えを拒否していたら、秀吉は機嫌を損ねて、最悪の場合、先に述べた信雄のような状況に陥る可能性もあっただろう。

同書には、秀吉の発言に、家康が「国替え致します」とすんなりと受け入れたことが記されている。

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