取材依頼が絶えないスーパー、名物社長の潔い決断 年間300本以上のテレビ取材をこなす青果のプロ

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関町本店の店頭に立つ秋葉社長
創業から続く関町本店の店頭に立つ秋葉社長。秋葉弘道(あきば・ひろみち)/アキダイ 社長。1968年生まれ。高校1年生から青果店でアルバイトを始める。高校卒業後、上場企業に就職するも1年余りで退職。23歳で一念発起し、スーパー「アキダイ」を創業(撮影:尾形文繁)
後継者不足や事業環境の悪化で廃業リスクが高まる日本の中小企業。一方、M&Aを契機とした業績回復や海外挑戦といった明るい動きも見られる。
『週刊東洋経済』5月25日号の特集は「中小企業 大廃業時代の処方箋」。中小企業の新たな生き方を探る。
週刊東洋経済 2024年5/25号(中小企業大廃業時代の処方箋)[雑誌]
『週刊東洋経済 2024年5/25号(中小企業大廃業時代の処方箋)[雑誌]』(東洋経済新報社)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。定期購読の申し込みはこちら

テレビ取材は年間300本以上。食品スーパー「アキダイ」社長の秋葉弘道氏(55)は、青果のプロとして全国区の人気者だ。

その秋葉社長は昨年、自らが持つ株式会社アキダイの全株式を、食品スーパー「ロピア」を展開するOICグループに譲渡した。50代半ばの経営者として脂の乗った時期に事業承継の決断を下した秋葉氏にその真意を聞いた。

──そもそも事業承継をしようと考えたのはなぜですか。

23歳で自分の店を持ったときから、「50歳になったら仕事をやめよう」と思っていたんです。それまでに人一倍、一生分を全部働いてしまおうと。

実際、市場で仕入れをやり、店頭に立ち、閉店後は事務作業もやるので、2時に寝て5時半に起きるような生活をずっと続けています。店を持って以来、丸2日続けて休んだことはありません。

「社長がいなくなったらどうなるのか」

コアな仕事をずっと自分が担っていたので、40歳を過ぎたあたりから、50歳でのリタイアは現実的に無理だ、とわかってきました。

ただ、その頃から、20〜30代の若い従業員が時折「社長がいなくなったらアキダイはどうなるのか」と不安を口にするようになっていたんです。

アキダイの事業は、自分が培ってきた従業員や取引先、地域との信頼関係で成り立っています。自分の娘2人やその夫、あるいはほかから来た知らない人が社長になっても、それを継げるとは考えられない。自分を信頼してくれている従業員が今後も安心して働けるよう、自分が元気なうちに道筋をつくってからやめよう。そう考えて事業承継の検討を始めました。

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