IBMを辞めた彼女が「医師」の道に導かれたきっかけ 教員を目指すも「三度目の正直」で見つけた天職

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研修後も人と接する仕事は楽しく、充実した日々を送る。しかしお客さんと話すのは好きでも「売り物である機械は愛せないという気持ちが強くなっていってしまった」と言う。

「会社は好きだったし、IBM以上に恵まれた環境なんてそうそうないと思っていたけれど、機械より人間に向き合う仕事のほうが私は向いている、と気づいてしまったのが決定的で……。部署異動は難しかったので、退職を決意しました」

不思議と夢中になった闘病記

5年半勤めたIBMを退社した後は、早稲田大学大学院教育学研究科の修士課程に入り国語教育を学んだ。大学では数学を専攻したが、もともと国数英いずれの科目も好きだったので、IBM在職中に通信教育で国語の教員免許を取得していたのだった。

「文学が好きだし、人間に関する学問だから、今度は国文学を専攻し、ゆくゆくは大学の教員を目指そうと考えました」

診察室には、シンボル的なステンドグラスを配置(写真:筆者撮影)

大学で教鞭(きょうべん)を執る夢に向かい、大学院に通いながら私立高校の非常勤講師として現代文を教えるようになった。やがて医療系の大学を目指す生徒の小論文指導にあたり、参考資料としてさまざまな闘病記を読み始めたのが人生を変えるきっかけになる。

自分でもなぜだかわからないほど夢中になり「1冊読み終えてはまた次」と止まらなくなったのだ。絶版になったものまで探し出し、300冊以上は読んだだろうか。

ふとわれにかえり、どうして自分はこれほどまでに闘病記を読みたいと思うのか、考えてみた。

すると、家族や本人の「あの時、主治医ともう少し話をしたかった」、あるいは「医療者にこうしてもらったことが、涙が出るほどうれしかった」といった、当事者でなければわからない強い思いに胸を打たれ、「もっと知りたい」という欲求が次々に湧き出てきていると気づいた。

そう感じた背景には自身の体験がある。

「母は私を産む前から心臓の弁膜症を患っていました。病状は深刻ではなく、ほかのお母さんより横になっている時間が長い、という程度でしたが、やはり心臓の病気なので、心のどこかでつねに母の死を覚悟しながら過ごしてきました。

母は私が大学4年のとき、スキルス胃がんで亡くなりました。思い返せば私はこの世に生まれた瞬間からそれまでずっと、病気の母がいる日常を生きていたんですね」

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