日本は、さらにひどい。1980年代のバブル期には「日本の不動産価格、株価はバブルではない」ということを、無理やり経済理論モデルで説明しようとしていた。流通などの非効率性も、長期的な関係を、ゲーム理論などを用いながら必死に「つじつまが合う」と主張してきた。
日本の混迷を決定づけたのは「リフレ派」
結局、これらは1990年代末から膨大なコストをかけて処理していくことになった。21世紀になると、日本の経済停滞を、アメリカのポール・クルーグマン氏(現ニューヨーク市立大学大学院センター教授)が、日本の現実をまったく知らないままに(知ろうともせずに)たまたま思いついた「トイモデル」(おもちゃのような理論モデル)で自慢げに分析してみせた。
アメリカの有名経済学者についていくことが最も進んだ経済学者の証しだと思い込んでいる同国コンプレックスの多くのマクロ経済学者は、これを絶賛し、日本政府の政策を責めたてた。
政治家も世論も自分では何も確かめようともせずに、有名経済学者の話を鵜呑みにし、現在でも、そのときの常識がそのまま残ってしまって、それを土台に議論が行われている。
日本の経済問題の核心は、人口減少や地方の衰退などの構造的な問題であることは明らかなのに、すべてはデフレ、緩やかな価格下落、あるいは価格が上がらないこと、つまりインフレにならないことが諸悪の根源とされた。いまだに、日本国中を挙げて、これをなんとか変えようとしている。
日本でも、前述のアメリカの経済学の混迷と同じ構造が根底にはあるが、この経済学と政治による経済政策の大混乱を決定づけたのは、アベノミクスであり、その元はリフレ派という謎の理論であった。
これは拙著『リフレはヤバい』でも解説したのだが、日本では世論も政治家も皆ぐうたらで、めんどくさがりである。したがって「日本経済はもう終わりだ」などと悲壮な叫びを上げながら、これを解決するために一発大逆転を望むのだ。
難しい議論はいやなので、単純な1つの理屈で一挙にすべてを解決する政策しか望まれないのである。この「一挙解決願望症候群」が政治家も世論をも覆っており、まじめに丁寧に問題を解きほぐす論者や理論は政策マーケットから駆逐される(というより無視される)。「これが問題だから、これをぶっ壊せばすべて解決」という主張しか生き残らなかったのである。
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