しかしそのようなストーリーは、中国や中東などの地域が近代科学の歴史とほとんど無関係であるとする説明を増長させることにしかならない。
多くの人は忘れてしまっているが、「黄金時代」という概念自体、そもそも19世紀にヨーロッパの各帝国の勢力拡大を正当化するために考え出されたものである。
イギリスやフランスの帝国主義者が広めた、アジアや中東の文明は中世以降衰退しているのだから近代化が必要である、という考え方は間違っているのだ。
中国やトルコが誇る近代以前の科学的偉業
驚かれるかもしれないが、このようなストーリーはヨーロッパだけでなくアジアにもいまだに広まっている。
2008年の北京オリンピックを思い返してほしい。開会式の冒頭で巨大な巻物が広げられ、紙が古代中国の発明品であることが表現された。10億人を超すテレビ視聴者が見つめる中、開会式ではそのほかにも方位磁針など古代中国のさまざまな科学的偉業が披露された。
そして中国のもう一つの成果とともに式は華々しく幕を閉じた。宋時代の火薬の発明を讃えて、鳥の巣スタジアムの上空に花火が上がったのだ。
しかしこの開会式では、中国が貢献したそれ以降の数々の科学的ブレークスルー、たとえば18世紀の博物学や20世紀の量子力学の発展についてはほとんど取り上げられなかった。
中東にも同じことが当てはまる。2016年にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が、イスタンブールで開催されたトルコ・アラブ高等教育会議で講演をおこなった。その中で、「イスラム文明の黄金時代といえるのは、イスラムの各都市が科学の中心地だった中世である」と唱えた。
しかしどうやらエルドアンは、今日のトルコに暮らしている人を含め、大勢のイスラム教徒が近代科学の発展にも同じくらい貢献していることを知らなかったらしい。16世紀のイスタンブールにおける天文学から20世紀のカイロにおけるヒト遺伝学まで、イスラム世界の科学の進歩は中世の「黄金時代」よりずっと後まで続いているのだ。
このようなストーリーがこれほど広く信じられているのはなぜだろう? 多くの作り話と同じく、近代科学がヨーロッパで発明されたという考え方も、偶然に生まれたものではない。
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