コペルニクスやガリレイ、ニュートン、ダーウィン、アインシュタインといった科学者の名前は、誰もが知っている。そして近代科学は16世紀から18世紀までにヨーロッパで誕生し、19世紀の進化論や20世紀の宇宙物理学も、ヨーロッパだけで築かれたとされている。
しかし、科学技術史が専門のウォーリック大学准教授、ジェイムズ・ポスケット氏によれば、このストーリーは「でっち上げ」であり、近代科学の発展にはアメリカやアジア、アフリカなど、世界中の人々が著しい貢献を果たしたという。
今回、日本語版が12月に刊行された『科学文明の起源』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。
しかし、科学技術史が専門のウォーリック大学准教授、ジェイムズ・ポスケット氏によれば、このストーリーは「でっち上げ」であり、近代科学の発展にはアメリカやアジア、アフリカなど、世界中の人々が著しい貢献を果たしたという。
今回、日本語版が12月に刊行された『科学文明の起源』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。
科学者になった武士の息子
明治維新後、何人もの日本人科学者が近代の物理学や化学の発展に重要な貢献を果たした。しかしある一人の人物はさらに先へと歩を進め、物質の正体そのものに関する我々の知識を一変させる。
その人、長岡半太郎も、この時代のほかの多くの日本人科学者と同じく武士の息子だった。1865年に生まれ、幼い頃からヨーロッパの科学に接していた。父親は明治維新を支え、天皇の命を受けて1871年に岩倉使節団の一員としてヨーロッパに渡った。
岩倉使節団の目的は2つあった。1つめは各国との外交関係を発展させること、2つめは、日本の改革をさらに推し進めるためにヨーロッパの科学技術に関する情報を集めること。
ヨーロッパで目にしたものに感銘を受けた長岡の父は、息子のためにイギリスで科学の本を何冊も購入して日本に持ち帰った。
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