冷戦が「欧州中心の近代科学史」をもたらした理由 政治的に都合良く語られてきた科学発展の歴史

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1933年にソビエト科学アカデミーの会長は、「20世紀までロシアに物理学はいっさい存在していなかった」と述べた。のちほど見ていくとおり、それは間違っている。

18世紀初頭にはピョートル大帝のもとで重要な天文観測が何度もおこなわれたし、19世紀にはロシア人物理学者が電波技術の発展において鍵となる役割を果たした。

確かにのちのソ連の歴史家の中には、ロシア人によるかつての科学的成果に光を当てようとする人もいた。

しかし少なくとも20世紀前半には、旧体制下で成し遂げられたことよりも、共産主義政権下でおこなわれた革命的進歩を重視するほうがはるかに重要だった。

中世や古代の功績だけに注目する理由

アジアや中東では少々違った経緯をたどったものの、最終的には似たような結果に至った。

冷戦期は脱植民地化の時代でもあり、数多くの国がヨーロッパの宗主国からの独立を果たした。インドやエジプトなどの政治指導者は、国家の新たなアイデンティティを是が非でも築きたかった。

そこで古代に目を向けた。中世や古代の科学思索家の功績を称え、植民地時代の出来事はおおかた無視したのだ。

イスラムやヒンドゥーの「黄金時代」という考え方が、19世紀のヨーロッパと同じように中東やアジアに広まりはじめたのは、実はこの1950年代のことである。インドやエジプトの歴史家は、輝かしい過去の科学が再発見されるのが待たれていたという考え方に飛びついた。

そうして、ヨーロッパやアメリカの歴史家が押しつける作り話を図らずも後押しすることとなった。近代科学は西洋のもので、古代の科学は東洋のものである。そう人々は聞かされたのだ。

冷戦は終わったものの、科学の歴史はいまだに過去にとらわれている。近代科学はヨーロッパで発明されたという考え方は、現代史の中でももっとも広く流布する神話の一つとして、一般向けの歴史書から専門の教科書にまで残されている。しかしそれを裏付ける証拠はほとんどない。

(翻訳:水谷淳)

ジェイムズ・ポスケット ウォーリック大学准教授

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James Posckett

ウォーリック大学准教授。科学技術史が専門。ケンブリッジ大学で博士号を取得し、ダーウィン・カレッジのエイドリアン・リサーチ・フェローシップを取得した。『ガーディアン』『ネイチャー』『BBCヒストリーマガジン』などに寄稿し、インドの天文台からオーストラリアの自然史博物館まで、世界各地を調査のために訪れている。2013年にはBBC新世代思想家賞の最終選考に残り、2012年には英国科学作家協会による最優秀新人賞を受賞している。著書に学術書『Materials of the Mind』がある。

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