「兵庫のタイガース優勝」を大阪人が喜ぶ複雑背景 大阪の御堂筋パレードめぐる曰く言いがたい事情

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南海は1959年の優勝時に御堂筋パレードを行っている。1977年に野村克也監督が、後の夫人が絡んだスキャンダルで球団を追われてから、チームは低迷し、スポーツ紙が「南海やっても勝てまへん」と書く始末だったが、それでもファンは「御堂筋パレードができるのは、大阪の球団だけや」と思っていた。

表向きは「警備上の問題がある」とのことで御堂筋パレードは見送りとなったが、その裏には弱小パ・リーグの弱小南海ホークスの「意地」があったとされる。

しかし南海ホークスは1988年オフにダイエーに買収され、福岡に去る。2003年、阪神が優勝すると、星野仙一監督以下阪神ナインは11月3日、しょぼ降る雨の中、御堂筋パレードを行ったのだ。このとき、大阪には近鉄バファローズがあったのだが、御堂筋パレードに異論を唱えたかどうかは定かではない。

「球界再編」でオリックス・バファローズ誕生

近鉄は翌年の「球界再編」で、神戸を拠点とするオリックス・ブルーウェーブと合併し、オリックス・バファローズとなる。本拠地は大阪市西区の大阪ドームと神戸市西区のグリーンスタジアム神戸となったが、阪急ブレーブスの流れをくむオリックス・ブルーウェーブと、近鉄バファローズというパ・リーグのライバル同士の合併は、ファンに複雑な感慨をもたらした。

もはやオリックス・バファローズは「純然たる大阪の球団」とは思えず、阪神タイガースに対してファンも強く出ることはできなかった。それもあってか2005年11月6日、阪神タイガースによる2回目の御堂筋パレードが行われ、今年と同じ岡田彰布監督が、沿道にファンに手を振った。

ちなみに2003年も2006年も「御堂筋ダイブ」は行われている。

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