今年のプロ野球もいよいよ大詰めだ。10月28日から始まる「日本シリーズ」では、セントラル・リーグの覇者、阪神タイガースと、パシフィック・リーグの覇者、オリックス・バファローズが対戦する。関西勢同士の顔合わせは、1964年の南海ホークス対阪神タイガース以来だ。このときは南海が4勝3敗で阪神を下している。
今の野球ファンは、プロ野球が2リーグに分かれていることも、日本シリーズで雌雄を決することも「当たり前」と思っているかもしれないが、プロ野球が今の「2リーグ制」になるまでは、はるか昔にさかのぼる紆余曲折があったのだ。
戦前は1リーグ制だった日本のプロ野球
日本のプロ野球は1936年に始まったが、戦前は1リーグ制だった。戦後、1949年になって初代プロ野球コミッショナーになった正力松太郎が「アメリカ、MLBにならって2リーグ制にしよう」と提言した。
当時、プロ野球人気は急上昇していたから、参入したいという企業が殺到した。その中から、毎日、近鉄、西鉄、大洋、西日本、国鉄、広島が新規加入。既存の巨人、大阪(阪神)、中日、阪急、大映、東急、南海、大陽(松竹)を合わせて15球団が、セントラル(8球団)、パシフィック(7球団)の2大リーグに分かれることになった。
セ・リーグは巨人の親会社である読売新聞が主導した。パ・リーグは正力松太郎の誘いでプロ野球参入を決めた毎日新聞が盟主的な役割を果たした。当初、大阪(阪神)は、阪急、南海、近鉄という関西の鉄道会社のよしみでパに加盟する意向を示していた。
しかし当時から巨人対大阪は「黄金カード」で、セの盟主となった巨人と違うリーグになっては、この対戦がなくなってしまう。大阪の首脳陣は、苦悩の挙句に土壇場になってセ・リーグへの加盟を決めた。
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