「日本シリーズ」セ・パの対抗意識が激しい歴史背景 「球界再編」で両リーグ体制に激しい亀裂

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1969年のセ・リーグの観客動員は657万8400人、これに対しパは301万8471人、倍以上の差がついていた。セでは巨人は213万2500人だがあとの球団はすべて100万人以下、巨人人気に他球団が依存している状態だった。

人気挽回の策をあれこれ練っていたパ・リーグは、1975年から指名打者制(DH制)を導入する。これによって打撃戦が増え、面白い試合が増えると期待したのだ。しかしセ・リーグはこれを導入しなかった。MLBでも前年の1974年からア・リーグが導入したが、ナ・リーグは同調しなかった。日米ともに「老舗」を自認する側のリーグが導入しなかったのだ。

セ・リーグはDH制を導入しない「9か条の理由」を発表したが、その第1条は「1世紀半になろうとする野球の伝統を、あまりにも根本的にくつがえしすぎる」というもの。「うちは老舗だから、軽々しくそんなことはしない」という矜持、そしてパへの当てつけのようなものが見える。

両リーグ体制に激しい亀裂が入った「球界再編」

以後も、セ・パ両リーグは「別々の方針」で運営された。この両リーグの体制に激しい亀裂が入ったのが、2004年の「球界再編」だった。

事の発端は、経営難に陥った近鉄バファローズが、オリックス・ブルーウェーブに合併を申し入れたことだった。これを好機と見た一部の球団経営者が、もう1つの合併話をまとめ上げてパ・リーグを4球団にし、セ・リーグと合併して「10球団1リーグ体制」にしようとしたのだ。巨人の渡辺恒雄オーナーはこの話に賛同し「1リーグ化」へと動いたが、これに反対したのが巨人以外のセの5球団だった。

セ球団は「巨人戦」の放映権と入場料収入で採算をとってきた。1リーグになってチーム数が増えると巨人戦が減って、収益も大幅に減ってしまう。これは困ると言うわけだ。一方のパの6球団は、これまでまったく恩恵に浴してこなかった「巨人戦」という「宝の山」の分け前にありつける。

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