筆者は1970年代から関西のプロ野球を観戦しており、この時期のセ・リーグとパ・リーグの人気の差は極めて大きかった。パ・リーグ球団の入場口の横には「無料招待券」が山と積まれていたが、それでも客の入りはパラパラだった。観客席には酔っ払いが寝そべり、ファンの野次は選手や監督にダイレクトに届いたものだ。
大阪球場や、日生球場、西宮球場などでパ・リーグの試合を観ていて、場内が一番湧くのは「他球場の試合経過」で阪神がリードしているというアナウンスがあるときだった。南海ファンだった筆者は唇をかんだものだ。
カーネル・サンダース像が沈んだ1985年
阪神タイガースの人気が「別次元」のものになったと実感したのは、1985年の21年ぶりの優勝だった。4月17日、ランディ・バース、掛布雅之、現監督の岡田彰布が、甲子園で巨人の槙原寛己からバックスクリーンに3者連続本塁打を打ったのを皮切りに、阪神は圧倒的な打力でセ・リーグ優勝を果たす。
大阪ミナミの大群衆が押しかけ、道頓堀川にファンが次々飛び込んだのはこのときだ。近くにあったケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダース像が道連れにされたのは、まさに暴挙だった。
それまでの阪神は、弱い時代が長く、ファンは「弱いけど諦められまへんねん」と言っていた。それは含羞を帯びた粋な姿勢だと思えたが、この優勝くらいから「わしらは虎キチや」というようなファンも目立ち始めた印象だ。
このとき、吉田義男監督をはじめ、タイガースナインが、大阪の目抜き通りである御堂筋をパレードする案が浮かんだ。しかし、御堂筋の南端の大阪球場には、南海ホークスがいた。
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