資生堂・中興の祖、福原義春が残した「ある課題」 成長の礎を築き92歳で逝去、文化人社長の横顔
こうしたタイミングで秘書畑の池田氏を社長に指名した采配には今でも疑問の声が多い。資生堂は国内の難題に対して根本的な改善策を打つことができなかった。
そして前田氏は「uno」や「TSUBAKI」を立ち上げてドラッグストアの販売を強化したが、アメリカの化粧品会社ベアエッセンシャル(現在は社名変更)の買収で大失敗し、社長を引き継いだ末川氏時代の2012年度には最終赤字に転落をしている。最終赤字は2004年度以来だった。
当時を知るOB社員らによれば、社長になるべきだった人望・実績のある人材はほかにいた。取締役専務などを務めた斎藤忠勝氏だ。福原氏の下で多くのブランドを生み出した。商品開発のエースといえる人物だ。
「イエスマン」を社長に指名する傾向も
しかし、福原氏は斎藤氏を社長に任命しなかった。「福原さんは自分の言うことを聞く『イエスマン』を社長に指名する傾向があった」。OB幹部はこう指摘する。
末川社長の後任には、当時資生堂の取締役だったカーステン・フィッシャー氏や岡澤雄氏らが社長レースを競った。だが結果的に、外部人材である魚谷氏が社長の座を勝ち取った。
現在、資生堂の会長CEOを務める魚谷氏は、過去にとらわれない独自路線で改革を進めている。
コロナ禍前のインバウンド特需に沸いた時期は高成長を続けたが、足元の業績はかつて低迷をしていた時期と変わらない水準にまで落ち込んでいる。業績回復のためには、これまで誰も手を着けてこなかった美容部員のリストラなどが不可避の状況だ。(土俵際の資生堂、24年に魚谷会長が「退任表明」)
現在の資生堂を福原氏はどう見ているのだろうか。「魚谷氏の社長指名という賭けには勝ったのでしょうか」。そう聞いてみたかった。
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