資生堂・中興の祖、福原義春が残した「ある課題」 成長の礎を築き92歳で逝去、文化人社長の横顔

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福原氏は、資生堂にとっては「中興の祖」といえる経営者だった。商品開発と海外事業の経験が長く、多くのヒットブランドを生み出したほか、海外進出の足がかりを作った。

福原氏の経営の特徴は、「不易流行」を重視したことである。創業家出身社長として、資生堂らしさにこだわった世界観を追求し、化粧品ブランドの育成に注力した。

1976年に誕生したメーキャップブランド「インウイ」も福原氏が開発に携わった。「赤の色味」について福原氏からダメ出しをされ、何回も什器を作り直したと資生堂OBは打ち明ける。同ブランドは2023年に化粧品専門店ブランドとして復活する。

また高級フレグランスの「セルジュ・ルタンス」も福原氏が取締役外国部長時代に進めたフランス進出がきっかけで生まれたブランドといえる。

「芸術や長い歴史といった企業文化に裏打ちされたブランドストーリーを作るうまさは圧倒的」。化粧品大手の社員はこう指摘する。

世界視点で化粧品業界を見ることができた

福原氏は、これまで国内中心だった資生堂の海外展開を一気に推し進めた(撮影:今井康一)

また、これまで国内中心だった資生堂の海外展開を推し進めた。福原氏はもともと英語が堪能。入社時には当時の松本昇社長から「英語がおできになるようですが、この会社に入っても使い道はありませんよ」と言われていた。しかし、苦境に立たされていたアメリカ子会社の社長に就任し、立て直しを図る。

1978年には取締役外国部長に就任。中国進出や化粧品の本場であるフランスでの事業開始などを推し進めた。「海外経験もあったことから、世界視点で化粧品業界を見ることができた」と、同社のOB幹部は福原氏の経営手腕を評価する。

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