資生堂・中興の祖、福原義春が残した「ある課題」 成長の礎を築き92歳で逝去、文化人社長の横顔
現在、資生堂は中国やアメリカ、欧州などへ進出しており、海外売上高は7割を超える。この成長基盤を築いたのはほかならぬ福原氏であった。
多趣味でも知られている。2010年12月発売の『週刊東洋経済』では福原氏を取材しているが、特集内容は何と「カメラ新世紀」である。当時、東京都写真美術館の館長でもあった福原氏が写真を上達させるコツについて次のように語っている。
「『写真の定石』を知ること。それは理屈で覚えるのではなく、写真をたくさん見ていけばわかってくる。中でも大事なのは『写真の角度』と『構図』」。そのほかにも蘭栽培、読書家、絵画コレクターなどさまざまな面を持つ経営者だった。こうした福原氏の芸術センスが化粧品の商品開発につながっていたことは間違いないだろう。
資生堂経営には課題もあった
一方で、福原氏の資生堂経営には課題もあった。それが後継者の指名である。1997年、福原氏は後任として弦間明氏を社長に指名した。その後、池田守男氏、前田新造氏、末川久幸氏と社長のバトンをつないでいく。これらの後継指名に福原氏は強く関わっていた模様だ。
1990年代後半は化粧品の定価販売制度が崩壊し、ドラッグストアなど新しい販売チャネルが台頭し始めた激動の時代だった。資生堂にとって主力販売チャネルだった化粧品専門店は閉店が続いていた。
本来であれば販売戦略の転換や、専門店へ派遣をしていた美容部員制度の改革、値下げされにくいブランドの創出などが求められるタイミングであったといえる。
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