大学受験の勉強を始めたのも積極的な理由ではなく、進路を決める時期になってようやく、とりあえず周囲が行っているような大学に行くことを考えたようです。しかし、駿台や河合塾の模試の偏差値は20台と、彼が行きたかった難関大学に行けるような成績ではありませんでした。
「何十万人も受けるような模試で、下から30番目の成績を取っていました。全部適当に記号を書いて、当たればラッキーだなって感じでしたね。これはまずいぞと、やっと危機感を抱いて、3年生の12月にようやく受験勉強を始めました」
しかし、開始が遅かったので受験に間に合わず、現役での入試は納得のいく結果が出ませんでした。
「そんなにレベルとかを考えてなくて、早稲田・青学・法政などを受けましたが、すべて落ちました。父親が早稲田だし、弟もサピックスでいちばん上のクラスだったのでなんとなく自分もいけるかな、と思っていたのですが、問題が難しすぎて何を聞かれているかが全然わかりませんでした。自分の実力と、大学のレベルとの距離感がわかっていませんでしたね」
偏差値40での受験、過信が全滅を招く
なんとか大東亜帝国(大東文化、東海、亜細亜、帝京、国士舘の各大学)レベルの大学には合格したそうですが、現役時の受験が不完全燃焼だと思った彼は、浪人を決断します。その理由は「浪人する以外に選択肢がなかった」からだそうです。
「専門学校に行くのも興味がないから、大学に行くしか選択肢がありませんでした。現役での受験は不完全燃焼だったので、浪人しようかなという感じです。何もしなかった自分にモヤモヤしてはいましたが、落ちて絶望を感じるほど勉強をしていなかったので、鈍感だったと思います」
1浪目の彼は駿台に通う決断をします。しかし、その予備校通いは3カ月も続かず、高校生活の延長のような1年を送ってしまいました。
「東大に行きたいと思っていましたが、偏差値は40でした。授業に出れなくなってしまって、日中ブラブラして遊んでいましたね。11月になってようやく勉強を始めて、早稲田と慶應だけ受けて落ちてしまいました」
こうして春山さんは2浪を決断します。彼は、自身が現役・1浪で落ちた理由を「自分を客観視できなかったから」と語りました。
「とにかく勉強をしませんでした。自分が思っていたほど地頭がよくないのに、自分の実力を過信していたんです。親戚がみんないい大学に行っているから、普通に生きていれば自分も行けると思い込んでいて。周囲の人が大学に入るためにどれだけの努力をしているのかをわかっていませんでした。自分が実力不相応な大学しか受けなかったのは、自分の実力と志望大学とのレベルの距離感がわかっていなかったからです」
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