2浪で必死に勉強しても早慶上智にあと一歩届かず、授業が年4回しかない通信制の短大に通うことになった彼は、ある方法に人生の活路を見いだします。
今回は一見「恵まれた環境」に生まれ育った彼の葛藤や思いを聞いてみました。
周囲に反発して勉強ができなかった少年時代
春山さんは千葉県柏市の4人家族に生まれました。父親の家系が皆高学歴で、小さいころから勉強をする環境にあったそうです。
「勉強熱心な家庭で、小学校に上がってすぐに父方の祖母が母親に『そろそろ中学受験の準備をしましょう』という環境でした。小学3年生のときに何も知らないまま中学受験の塾に入れられたのですが、落ち着きのない子どもでしたので、あまり集中してできませんでしたね」
「勉強をさせてもらえる環境にいたのですが、当時は周囲に反発してできませんでした」と恥ずかしそうに語る春山さん。塾に入る時期と同じころに少年野球を始めたこともあってか、勉強はほとんどせずに高校まで野球を続けました。
中学受験は一応して私立中学校に入ったものの、校則がきびしくて1年で辞めてしまい、公立中学校に移ります。塾通いもなくなり、まったく勉強しなくなってしまった彼は、160人中157位くらいの順位が定位置になりました。3年生になってからの評定平均は5段階で1.2だったため進路探しも難航します。
それでも、自分がなんとか行ける学校を探した彼は、茨城にある東洋大学附属牛久高等学校に入り、野球を続けました。
ピッチャーとして野球に打ち込んでいた春山さん。将来は独立リーグに進むなどして、野球を続ける道も考えていたそうです。
しかし高校2年生の冬、人生の一部であった野球を辞めることになってしまいました。
「ある日突然、野球に対する熱意がなくなって、気持ちの糸が切れてしまったんです。結局、持ち直すことができずに野球部を辞めてしまいました。僕の代は甲子園出場にあと少しで届くほど、強いチームだったので、続けていたらまた違った人生があったかもしれません」
それから目的を失った春山さんは、毎日放課後になるとフラフラと遊ぶ日々を過ごしていたそうです。
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