戦後78年、終戦時首相「鈴木貫太郎」知られざる功績 普通の文官だったら軍は収まらなかった
そのときこれを平らげたのが曾国藩である。兄弟で働いた。米人のワード、英人のゴードン将軍を招聘して平らげた。この人の思想は「用兵は道徳を基とす」と言っている。また「克己の二字は特に身を束ねるもののみにあらず。すなわち治国平天下、何ぞこの二字の力にあらざるなき。すなわち用兵に至りてもまたかくの如し」、用兵は克己だというのです。
1つの達見と言わねばならない。いちばん危ないのは名誉心だというのです。これを非常に戒めている。長い戦になると、指揮官は名誉欲を抑えなくてはならない。それを克己と言っている。
また「兵はやむを得ずしてこれを用う。あえて先とならず」、兵は決して自分から始めてはならないということです。「兵は陰事なり。哀惜の意、親喪に臨むが如し」と、これは、戦争は親の葬式のようなつもりでやらねばならないものだ、というつつしみのことなのです。
曾国藩の用兵は道学からきている
西太后の評によると、「曾国藩の用兵は力を兵法に得るにあらず。すなわち力を道学に得たり」と。西太后というのは文宗皇帝の皇后で、有名な利口な政治家です。
外国には西太后とか、則天武后、カザリン二世(編集部注。エカテリーナ2世)とか、女でこういう人がときどき出ます。日本にはそんな人が出なくて結構なんでしょうが、この西太后が長髪賊に困りまして、曾国藩によって平定したのですが、その曾国藩の用兵は、力を兵法から得ているのではなくて、道学からきているというのです。
道学というのは宋学の周敦頤、程明道(編集部注。姓名は程顥)、程伊川(編集部注。姓名は程頤)および朱晦庵(編集部注。姓名は朱熹)からきている。
こういう考え方は孫子、呉子とも違い、むろん欧州のクラウゼヴィッツの有名な兵学とは、兵学の考え方が根本から違っている。深く研究すると、曾国藩の用兵の核心が得られると思うのです。
何でこういうことを言うかというと、鈴木大将はこういう肌なんです。鈴木大将は道徳的な考えの勝った人でした。ナポレオンは幾何学的戦略ですが、そういう欧州風でなくて、われわれの先祖が親しい東洋流の、場合によっては、仏教の禅のにおいと香りの感じのある人である。鈴木大将はあとからも述べることもあると思うが、そういう偉い人であります。
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