戦後78年、終戦時首相「鈴木貫太郎」知られざる功績 普通の文官だったら軍は収まらなかった

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鈴木大将はどちらかというと、海軍の名将としては、ネルソンよりも、アメリカのファラガットの方に、感じと肌ざわりが近い。陸ではナポレオンではなくて、ウェリントン型と申したい。

ちょっと見たところ村夫子然として、田舎の村長のような感じでした。「おれは勇気満々だ」という感じではなくて、渋い地味な方で、偉いんだとか、元気なんだというふうなところはない。田舎の村長が袴をはいたような感じの方でした。そして無限の勇気を包蔵しているところは、実に東洋型だと思うのです。

学者であり、哲学者である曾国藩のこと

関連して申したいのが、学者であり、哲学者である曾国藩のことです。この人は清朝末期における中国の大政治家であり、大学者、大軍人でありまして、非常に偉い人でありました。

ここに『康熙字典』以上の辞典を書いた諸橋轍次(編集部注。1883~1982。漢学者。『大漢和辞典』を完成させたことで知られる)という人の『経史論考』という立派な本があるが、これに軍人としてではなくて、むしろ学者としての曾国藩のことが書いてある。

その終わりのところに兵学者、軍人としての性格に対して、価値ある記事がのっている。そのなかに「千古兵を知るは諸葛孔明」とあります。孔明は中国の何千年の歴史において、名将としてまた立派な人です。敵の仲達でも、孔明を天下の鬼才であると褒めている。

それ以外では王陽明とこの曾国藩が哲学者であり、軍人として立派な人です。2人とも学者の方が本職であるが、名将としても2人とも劣らない事績がある。

孝明天皇の嘉永4年(1851)に、中国に長髪賊の乱(太平天国の乱)が起こった。洪秀全という人が、「自分は神様の次男だ、キリストは長男で私が次男だ」と言い、髪を長くして長髪賊といった。これが約15年の間、中国の18省中16省まで侵して、大変な騒ぎであった。

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