この協定では、「フル」インクルーシブ教育を強調する。すべての生徒が登校から下校まで、同じ場所で学校生活を送ることをいい、同大学大学院同研究科附属バリアフリー教育開発研究センター長の小国喜弘教授は、記者会見でこう説明した。
「学校で社会的マイノリティを排除する傾向を拡大させているなかで『どのように学校や学級を、よりインクルーシブな空間に再編すべきか』は、日本の公教育改革の喫緊の課題となっています。今回の連携事業は、そうした改革において先導的な役割を果たすことになると考えています」
同センターは、これまでも大阪市立大空小学校や大阪府吹田市と連携協定を結び、学校運営や授業運営のノウハウを蓄積し、障害の社会モデルに関する教員研修プログラムを開発してきた実績がある。
40年続く「分離教育」の中身
この“フルインクルーシブ教育宣言”は、教育史に刻まれるほどの挑戦といえる。それは、日本では40年以上にわたって障害の有無で学びの場を分ける「分離教育」が続いているからだ。
戦後、学校教育法により、すべての子どもには教育が義務化されたが、障害児に対しては当分の間、猶予・免除とされた。だが、それも削除となり、1979年から障害児への教育も義務化された。
養護学校では、どんなに重い障害があっても、教育によって豊かに発達していくことを目指した。自立と社会参加を目的に個別支援計画を立てたうえで、児童・生徒の障害特性やニーズに合わせて指導した。
一方で、その子どもたちは都市郊外の養護学校*4に集められた。その結果、地域の子どもたちとの接点がほとんどなくなり、近所に友だちができにくく、卒業後は自宅で暮らすにもかかわらず地域になじめなくなった。
障害のない人も、障害のある人との付き合いがなくなったため、どのようにコミュニケーションを取ればいいかわからない人が多くなった。
それでは、どうして国立市が動き始めたのか。国立市は、もともと関係者から「重度障害者にとって住みやすい町」と言われていて、そのことと関係がある。
国立市は「ソーシャル・インクルージョン」の理念をもとに、まちづくりを進めてきた。これは「社会的な包摂」、つまり、誰1人取り残さない地域社会づくりのことで、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」と同じ考えだ。
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