国立市では国連の採択より早い2005年、当事者の陳情から障害者が当たり前に暮らすための宣言*5を発表し、条例ができた。それらを束ねた「国立市人権を尊重し多様性を認め合う平和なまちづくり基本条例(2019年)」もある。
国立市教育委員会の雨宮和人教育長は記者会見で、国立市における障害者施策の経緯について、こう話した。
「国立市では、重度障害をお持ちの方々が地域で暮らすことに長年、取り組んできました。しかし、教育においては一歩踏み込めていなかった。そこで、『国立市におけるフルインクルーシブって何だろう』ということを関係者とともに対話を重ねながら、作っていきたいと考えています」
人間を人間とも思わない対応
実は、国立市では1970年代から重度障害のある当事者らが行政に声を上げている。しょうがい当事者任意団体「かたつむりの会」(現:NPO法人ワンステップかたつむり国立)を創設した理事長の三井絹子さん(78歳)は、1975年から国立市に住んでいる。食事も排泄も介護が必要で、言葉を話せないため、周囲とは文字板を指さして会話をする。
三井さんは23歳のとき、当時「東洋一」とうたわれた府中療育センターに入所したが、職員からの性的虐待やいじめなど、「人間を人間とも思わない対応を受けた」と言う。1970年、新聞でその実態を暴露し、「重度障害者も人間です」と声を上げた。それ以降、障害者運動の先頭に立ち、闘ってきた。
しかし、施設で暮らしを変えることは難しかった。そこで外から闘っていく方法に切り替え、30歳で退所した。その2年前、28歳で俊明さん(当時26歳)と結婚し、33歳のとき女児を出産した。出産と同時に、俊明さんは手術が必要な病気で入院したため、地域住民や大学生らが交代で彼女の日常生活と子育てを支援した。
三井さん夫妻は、国立市に住み始めたときに「地域で当たり前のように生きる」と目標を持ったが、当時は、国が派遣する介護ヘルパーの時間が2時間半とあまりにも短かった。それでは生きていけない。市の福祉部と交渉したが難航し、三井さんが文字板で言葉を荒らげることも多かった。
市が介護の必要性を理解するために時間がかかったことから、三井さんは自ら介護のボランティアを探した。だが、ボランティアだけでは介護の担い手に限界がある。そこで市に掛け合い、登録ヘルパー制度を作ってもらった。
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