家康最大の危機「伊賀越え」虐殺の地を越えし強運 服部半蔵や本多正信と過ごした逃げ地獄の3日間

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そしてもう1つの敗因は、家康を取り逃したことです。

6月5日には、家康は三河に戻って軍備を整え始めますから、その一報はすぐに光秀および畿内の諸将には届いていたはず。家康は織田最大の同盟国であり、何より、この時点で徳川軍はどこにも対決する敵を持っていませんでした。

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つまり徳川は、全兵力を明智討伐に注げるということです。史実では、秀吉が中国大返しを成功させて光秀を討つのですが、冷静に戦力を分析すると、家康が出陣すれば光秀に勝ち目はなかったでしょう。家康を取り逃した時点で、光秀の運命は定まっていたといえます。

畿内の諸将が光秀に味方し、その政権に参画する決意を促すには、信長の首を得て、その首をさらすことにより信長を殺したことを確定させ、さらに家康を討ち取り、フリーハンドの最大兵力を持っている徳川家を混乱に陥れることが必要だったのです。

信長の首を得られなかったことで、わずかでも信憑性の確認の時間的猶予を与え、さらに家康を討ち取れず、最大勢力、徳川軍の来襲を確定させたことで畿内の諸将は光秀を見かぎりました。

その意味では、秀吉を天下取りに導いた立役者は家康といえるかもしれません。

眞邊 明人 脚本家、演出家

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まなべ あきひと / Akihito Manabe

1968年生まれ。同志社大学文学部卒。大日本印刷、吉本興業を経て独立。独自のコミュニケーションスキルを開発・体系化し、政治家のスピーチ指導や、一部上場企業を中心に年間100本近くのビジネス研修、組織改革プロジェクトに携わる。研修でのビジネスケーススタディを歴史の事象に喩えた話が人気を博す。尊敬する作家は柴田錬三郎。2019年7月には日テレHRアカデミアの理事に就任。また、演出家としてテレビ番組のプロデュースの他、最近では演劇、ロック、ダンス、プロレスを融合した「魔界」の脚本、総合演出をつとめる。

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